『運とは運ぶもの』
『運とは自分を運ぶもの』だと思います。
では、『運とは自分を運ぶもの』の『自分を運ぶもの』とは何か、
それは『自分自身』であり、また、『自分以外の何か』でもあると思います。
そして、『目に見えない自分を運ぶものが運気』であると思います。
≪運とは何か≫
- 運とは自分を運ぶもの
≪自分を運ぶものとは≫
- 自分自身でもあり
- 自分以外の何か(運気)でもある
「運は自分で引き寄せることができる」といわれることがあります。
しかし、「自分ではどうしようもできない運のときもある」ともいわれます。
自分で良くできる運もあれば、自分でどうすることもできない運もある…。
運について、なぜ『自分で何とかできる部分とできない部分』があるのか?
その理由が、良く分からない方もいると思います。
しかし、この問いについて、
- 運とは自分を運ぶもの
- 自分を運ぶものは自分以外の何か=運気
という考え方をすれば、
『自分で運を良くすることができることもあれば、巡ってくる運に対して何もできないこともある』
ということに納得できるようになると思います。
運とは何か|運には2つの要素がある
運とは何かについてお話ししてきました。
≪運とは何か≫
- 運とは自分を運ぶもの
≪自分を運ぶものとは≫
- 自分自身であり
- 自分以外の何か(運気)でもある
運をこのように考えると、運には2つの要素があることが分かります。
- 自分で運を良くすることができる部分
- 自分ではどうすることもできない部分
運は自分で良くできる部分があります。
ですので、運を良くしたいときは、運が良くなる行動をすればいいことになります。
運が良くなる行動とは、例えば、『人の役に立つことをする』『人の嫌がることをしない』ことが大事とされています。
このように、自分ができる運が良くなる行動を行っていけば、運が良くなると思います。
一方、自分でコントロールできない運もあります。
自分でコントロールできない運とは、『運気=目に見えない自分を運ぶもの』のこと。
はじめに、『運とは自分を運ぶもの』とお話ししましたが、『運気は自分をどこかへ運ぶもの』といえます。
ただ、どこかへ運んでくれるという表現よりも、『いまいる場所の状況を変えるもの』といった方が的確かも知れません。
『いまいる場所の状況を変えるもの』とは、分かりやすくいえば『天気のようなもの』といえます。
運気を天気のようなものと捉えれば、『運気(天気)がいいときもあれば、運気(天気)が良くないこともある』ということに納得できると思います。
そこで、管理人ラボは『運気を天気のようなもの』として捉えることにしています。
『運気を天気のようなもの』としてとらえるとどうなるの?
『運気とは天気のようなもの』として捉えると、どうなるのでしょうか?
『運気とは天気のようなもの』と捉えると、自分の力で天気をコントロールできないように、『運気=天気』もコントロールすることができません。
ですので、いい運も良くない運も、天気のように自分の意思とは関係なくやってきます。
自分の意思とは関係なくやってくる運気(天気)を選ぶべない。
ではこのとき、人間にできることは何なのか?
それは、天気に自分の行動を合わせるように、
『運気(自然のながれ)に自分の行動を合わせること』であると思います。
運に合わせる生き方が大事
運とは何かをいろいろと述べてきました。
運は自分でコントロールできる部分とコントロールできない部分があります。
ですので、全てではありませんが、運をよくすることもできます。
運を良くするには、自分でいろいろな努力すること、「人の役に立つことをする」「人の嫌がることをしない」ことが大事になります。
同時に、自分でコントロールできない運がやってきたときは、『運気(天気)に合わせた生き方をすること』が大事になります。
運気(天気)に合わせた行動とは、
「おでかけは晴れの日にする」「嵐の日には無理をしない」ことが大事なように、
「運気のよくないときは動かない(最低限のことだけする)。」
「運気のよい時に自分がやりたいことをする。」
ということになります。
ところで、人間は自分の運の良し悪しを知りたいと思うものですね。
では、どうすれば運気の良し悪しが分かるのか?
天気予報のように運気予報があればいいですが、よく当たる運気予報はなかなかないのが実情のようです。
いまのところ、運気予想でおすすめのものがあるとすれば、それは、
- 信頼できる人からのアドバイス
- 自分を理解してくれる人からのアドバイス
であると思います。
信頼している人や自分を理解してくれる人のアドバイスには、今の自分の運気を知る手掛かりが含まれていると思います。
『運とは何か』を考えてきましたが、現時点では『運とは自分を運ぶもの』という結論になります。
≪運とは何か≫
- 運とは運ぶもの
- 運とは自分を運ぶもの
- 自分を運ぶものとは「自分自身」と「運気」の2つがある
- 運気とは天気のようなもの
- 運気のいいときは晴れのようなもの
- 運気が良くないのは雨のようなもの
- 運気(天気)は人によって違う(と思う)
- 運気(天気)は変えることができない
- 人間にできることは運気に合わせた行動をすること
- おでかけのときは天気に合わせる
- 運気が雨の時は傘などで対応する
- 夏は薄着になり冬は厚着になるように
- 運気が良くないときは、そのときに合わせた対応が大事
運気に合わせた生き方をすれば、無理なく生きていくことができます。
無理なく生きていけること、これが本当の意味で『運がいい』ということなのかも知れません。
「運とは何か」が気になる人へ
「運とは何か」が気になる方に言いたいこと。
それは、「自分にとって大事な目標を持ってほしい」ということです。
例えば、仕事がある日は、天気の良い悪いに関係なく、会社に行くと思います。
仕事は生きる上でとても大事なことですね。
天気が良くても悪くても、会社に行かなければいけない。
雨が降れば傘を持って通勤し、雪が降れば家を早く出て余裕をもって会社に行くでしょう。
交通機関の遅れがあったとしても、昨日のよる飲み過ぎても、何としても会社に行くと思います。
なぜ、このように、何としてでも会社に行くのか?
それは、会社に行って働かないと生きていけない、と思うからであり、それが一種の義務感になっているからです。
これと同じように、人生に仕事と同じくらい大事なこと=人生の目標があれば、
天気の良し悪しに関係なく会社に行くように、運気の良し悪しに関係なく、人生の目標に向かって進んでいくはずです。
いま、仕事と同じくらい大事な人生の目標とお話ししましたが、それは、
- 義務感のある人生の目標
- 人生でやらないといけないこと
と、いえます。
義務感があるからこそ、天気の良し悪しに関係なく仕事に行くように、運気の良し悪しに関係なく人生の目標に向かっていくことができるのです。
「義務感を持つことはよくない。」
「義務感を持たないようにしよう。」
など、最近はこのような風潮がありますね。
確かに、義務感にとらわれ過ぎて病になることがあるのも事実です。
しかし、本当に義務感を持つのは良くないことなのか?
むしろ、「義務感を持たない方が良い」という風潮になったからこそ、
そして、人生に義務感のある目標がなくなったからこそ、人は運気が悪くなった時、前に進んでいけなくなったのではないか?
このようにも思います。
何度もお話しするように、運気は自分の都合に関係なくやってきます。
このとき、「運が良くないけど対策を立てて目標に進んでいこう」と思うのか?
それとも、「どうして自分は運がよくないのか…」と思うのか?
このどちらかの選択肢を選ぶ分かれ目は、その目標に対する義務感の有無であると思います。
いま、「運が悪くて前に進めない」「運とは何か」と思っているときは、視点を変えて、
- 「自分にとっての義務感=自分がやらなければならないこと」とは何なのか?
について考えてみてください。
そのとき、いま自分がしていることが自分の義務感から出てきた目標であれば、
「これはやらないといけないことだから、運が悪くても対策を考えてそれなりに前に進んでいかないといけないな。」
と思える部分が出てくると思います。
そして、このような思いが出てくるところに、現在の状況が良くなくても、自分なりに目標に向かって前に進んでいける力が出てくると思います。
運とは何か|運について思うこと
松下幸之助さん(松下電器創業者)は、社員採用面接のときに次のように聞いていたそうです。
「君は自分が運がいいと思うかね?」
そして、「自分は運がいい」という人を採用していたそうです。
このように、運がいい人を採用したと逸話が残っている松下幸之助さんですが、
では、松下幸之助さんは運についてどのように考えていたのでしょうか?
≪松下幸之助さん運とは≫
知識のあるなしということなら、試験でもすればすぐわかる。…けれども運が強いかどうかはちょっとやそっとでは分からない。第一…運がある証拠を見せろといわれても、なんとなくそういうものがあると思うという程度のことしか言えないのが本当のところである。
出典:https://shuchi.php.co.jp/article/3477
松下幸之助さんは運について、
「運がある証拠を見せろといわれても、なんとなくそういうものがあると思うという程度のことしか言えないのが本当のところである。」
といわれてます。
『運が強いと思っている人』を採用した松下幸之助さんでさえ、『運とは良く分からないもの』といわれています。
そういったことを考えると、『運とは良く分からないもの』なのが実情ではないかと思います。
ただ、松下幸之助さんは『運とは何か良く分からないけど確実にあるもの』と捉えていますので、『運が良いと思っている人』を採用したのだと思います。
余談になりますが、なぜ、松下幸之助さんは『運がいいと思っている人』を採用したのでしょうか?
『運がいいと思っている人を採用すると会社の運も良くなる』と思われたから『運がいいと思っている人』を採用したのでしょうか?
この点については良く分かりません。
ただ、以下の松下幸之助さんの言葉にその答えのヒントがあるように思います。
≪松下幸之助さんの言葉≫
「私がこれまで自分自身への説得をいろいろしてきた中で、いまでも大切ではないかと思うことの一つは、『自分は運が強い』と自分に言い聞かせることである。本当は強いか弱いか分からない。しかし、それを強いと考える。自分自身を説得して、強いと信じさせるのである。そういうことが、私は非常に大事ではないかと思う。私自身、そう信じてきたのである。」
「(自分は運が強いと)信じることができれば、心の中に非常に強い支えができてくる。…何か困難な問題に直面しても、自分は運が強いのだから、これは何とか乗り切れるだろう、さらによい状態を生み出すことができるだろう、というような信念というか、強い考え方が生まれてきたのである。
「そして、そうしたものがあったおかげで、さまざまな困難にも心乱すことなく、勇気がくじけることもなく、何とか今日まで歩んでこられたわけである」
(『人を生かす経営』より)
松下幸之助さんが『自分は運が強いと思っている人』を採用した理由は、
『自分は運が強いと思っている人は、困難にも負けずに前に進んでいける人なので社員として使えると思ったから』ではないかと思います。
↓松下幸之助さんの運の考えをもっと知りたい方は、こちらのサイトを参考にしてください。
運とは何かについて、管理人ラボの考えや、松下幸之助さんのお考えをご紹介してきました。
この記事は、『運とは何か』について何度も書き直していますので、上に書いた記事内容は、『運とは何か』についての管理人ラボの最新見解になります。
そして、以下の文章は、これまでのラボが考える「運とは何か」「運とは自然のながれ」であるという結論に到達するまでの考察になっています。
お時間がある方は、「運とは自然のながれ」であるという結論に到達する過程をご覧になってみてください。
↓ここから以前の記事になります
こんにちは、ラボです。
あなたは「運とは何か」をどのように定義していますか?
ラボは「運」についてなんとなくは分かりますが、「運とは○○である」とははっきり言えません。
そこで、「運とは何か」を改めて考えてみました。
運とは何か|人生の自由時間で行動すること
「運」という言葉は良く、
- 運がいい
- 運が良くない
という風に使いますね。
「運がいい」という言葉には、
「いいことが起きる(起こった)」という意味があると思います。
反対に「運が良くない」という言葉には、
「良くないことが起きる(起こった)」という意味があると思います。
いいこと(良くないこと)が起きるということは、
そのタイミングでそこにいるということですね。
すると、
「運が良かった」とは「タイミングが良かった」
になり、
「運が良くなかった」は「タイミングが良くなかった」
となるような気がします。
以上のようなことを考えると、
運とは「タイミング」なのかなと思いました。
また、「タイミング」とは時間に関係することですので、
「運」とは時間に関する概念なのかなとも思いました。
ちなみに、先日の記事の運命・宿命と修学旅行の関係とは?立命と天命の意味から読み解くで書きましたが、
「運命とは修学旅行の自由時間の行動のようなもの」
とお話ししました。
ということは、
「運命」における運とは「人生の自由時間に行動すること」
なのかなとも思いました。
このように、
ラボ的には「運とは人生の自由時間に行動すること」と定義できましたが、
では、他の人は「運」をどのように定義しているのでしょうか?
そこで、インターネットで少し「運とは何か」について調べてみました。
「運とは何か」を調査
インターネットで「運とは何か」と検索してみると、いろいろな「運とは何か」という定義が見つかりました。
そこで、気になった「運とは何か」という定義をご紹介していきます。
≪気になった「運とは何か」の定義≫
- 自然からのエネルギー
- 前に進むことで巡ってくるもの
運とは「自然からのエネルギー」なの?
「運とは自然からのエネルギー」という定義がありました。
エネルギーと聞いて思いかべることは「気」。
「気」という感じは電気という言葉に使われているように「エネルギー」という意味があると思います。
また、「元気」という言葉は「身体や心のエネルギーのもと」といえるので、やはり「気はエネルギー」といって良いでしょう。
ということは、
「運とは自然からのエネルギー」という定義は、
「運気」のことをいっているのかなと思いました。
運とは「前に進むことで巡ってくるもの」なの?
運という漢字を分解すると「しんにょう」に「軍」になります。
そして、
- 「しんにょう」には「道・歩く」という意味
- 軍には「車」という意味
があるそうです。
ということは、
「運とは車が進むこと」になります。
このように考えると、
- 自分が進むことが運なのか?
- 運とは進む(移動する)ものなのか?
ということを考えてしまいます。
ちょっと表現が難しいですが別の表現でいうと、
- 運に自分で向かっていくことができるのか?
- それとも、運の方から自分にやってくるのか?
という表現になります。
一般的には、
運に向かって自分から進んでいくこともできるといわれますし、
運は向こうからやってくるともいわれます。
ということは、
ちょっと言葉の語弊があるかも知れませんが、
「運とは自力で何とかできる部分と自力ではどうにもできない部分の2つの面がある」のかなとも思いました。
以前、
「落ち込んだら身体を動かす(運動する)のが良い」
と聞いたことがあります。
このように、
身体を動かすことによって得られる運は「自力の運」
といえるのかなとも思います。
以上のことを考えたとき、
この章のはじめにお話しした、
「運とは前に進むことで巡ってくるもの」という定義は
自力の運の定義としてはもっともらしい定義と思いました。
まとめ
「運とは何か」について考えてきました。
ラボ的には、
「運とは人生の自由時間に行動すること」
とお話ししました。
また、インターネットで調べてみると、
「運とは移動するもの」
という一つの定義が見つかりました。
「運」の定義にはいろいろな定義があると思いますが、
とりあえずラボ的にいまは、
「運とは動くこと」という定義になりました。
「運とは動くこと」という定義をもって考えてみます。
運命
運気
運動
運転
…
運のつく言葉を考えてみると、
「運」とは漢字そのものの意味、
ただ、「運」とは「運ぶ」という意味ではないか?
このように思います。
- ものを運ぶのが運送
- いのちを運ぶのが運命
- そして、いい方向へ運ぶ(運んでくれる)のが運がいい
- 良くない方向へ運ぶ(運んでくれる)のが運がよくない
- 運とはただそれだけのこと…
では、誰が運ぶのか、または運んでくれるのか?
もしかしたら「運」を考える場合、
ここがとても大切なことなのかも知れません。
自分を運んでくれるもの、
それは、自分であり、
また、目には見えないものなのかなと思います。
そして、
目に見えない自分を運ぶもの
それが「運気」といわれるものなのだとも思いました。